
社団法人下関青年会議所所
2012年度理事長 乙部浩正

我々は、自分たちの住むまちについて決して傍観者であってはなりません。
青年会議所に所属する以上、「明るい豊かな社会の実現」のために、主体的に考え、誠実に行動しなければなりません。
景気が悪い、社業が忙しい、理由はそれぞれあるでしょう。しかし、いつの時代にも様々な理由はあったはずです。にもかかわらず、先輩方が自らの時間を費やし青年会議所運動を全うすることが出来たのはなぜでしょう?会員のこころを動かした原動力とは何だったのでしょう?それは、真のしあわせとは何かを考え、未来に生きる我々があるべき姿を真剣に議論し、社会へ伝播しようとした使命感ではなかったかと私は確信しています。
我々青年が行動しなければ、このまちの未来はありません。メンバー全員が持てる力を十分に発揮し、真のしあわせとは何かを考え、このまちの未来のあるべき姿と誠実に向き合いましょう。そして高き理想と志をもって青年会議所運動に主体的に取り組もうではありませんか。

近年LOMやメンバーの状況を見ているとモチベーションは下がる一方で疲弊感が漂い、なぜ自分たちはJCという団体に所属しているのだろうかと、その意味さえも見失っているように思えます。確かに経済状況の悪化や家庭環境の変化など様々な要因は考えられますが、それら以外の問題も無視できない状況です。
それは継続事業などでよく聞かれる“やらされ感”というものです。それには原因がいくつも考えられますが、特に目につくのが社業に追われ、JC活動の時間を圧迫されきっちりとした過去の検証ができずに事業を進めてしまい、創始の精神から大きく外れ、ぶれてしまうために、当該年度の委員会で十分に力が発揮されず、達成感を感じずに1年間が終わってしまう事です。こうなってしまうと残るのは疲弊感だけで、JC活動がつまらなくなってしまう恐れもあります。
今年度から次年度へのリレーションをしっかりと行うためにも、そしてまた少しでも単年度制のマイナス要素を改善するためにも、今まで担当委員会まかせにしていた事業の検証や見直しを理事構成メンバーが先頭に立ち、全メンバーで共有することが必要です。それは今後のLOMの在り方に対して、道標を作る良いきっかけ作りになると考えます。
もう一点、近年のLOMはメンバーの「横の繋がりが希薄」だと良く聞かれます。それは決して仲が悪い訳ではなく、各委員会単位では同じ時間を共有する事が多いため問題はないのですが、委員会の壁を越えると極端にその時間は減少し繋がりが薄くなります。解決の方法は色々ありますが、やはり会員同士の交流の場を設け、楽しさを表現できるようにメンバー間のコミュニケーションを図る事にあると思います。“どうせつらい事をやるなら楽しみながらやろうよ”と声を掛け合い、終わったらコミュニケーションをはかりメリハリのあるJC活動ができるようにしていきたいと思います。

「広報」という要素は、ここ近年で最もおざなりになってしまった部分ではないでしょうか。言うまでもなく広報は限られた予算、限られた時間でいかに効果的に宣伝をして集客をするかが第一です。そのためには行った手法を毎度毎度確実に分析することが必須であり、そしてその分析結果をもとに新たな広報を行い、また分析を行うというサイクルが必要です。そうして得た情報の蓄積に基づかなければ、時代に即した広報はできないし効果的な集客は見込めないでしょう。残念ながら現在の状況は、事業を行う委員会が各々独自の方法で広報を行い、その結果の分析もできず、また情報の共有さえ図れていません。
これは「事業を企画して実施する」ことを第一と考えるため、ある意味では仕方のないことでしょう。我々JCメンバーの活動は、社業と家庭との併用で成り立っています。そのため自ずと活動時間は限られてきます。その限られた時間の中で少しでも良い事業にするために、委員会で意見を出し合い、理事会で揉んで、また委員会で検討していくわけなので、自然と時間の許す限り事業の内容を詰めていくことになります。広報部分はその後のこととなり、最終的にはおざなりになることもしばしばです。
これは専門機関がないことに起因しているのではないでしょうか。青年会議所がまちづくり団体として活動していくのであれば、市民を対象とした事業の実施は必須です。市民を対象にした事業の広報は下関市とJCとを引き合わせるための非常に重要な接点です。広報を行う際は、その部門は「JCの顔」となっていることを自覚しなければなりません。それがおざなりになってしまっているということは、JCの顔を適当に描いてしまっているということと同意です。この事業のターゲットはどういった人たちで、その人たちを集めるにはどの手法が最適か。それを見極めなければなりません。そして、その結果得たノウハウこそ単年度制の枠を超えて継続させ、次年度以降へ継承させるべき財産となるのではないでしょうか。

下関青年会議所各メンバーは委員会に配属され一年間活動していきます。その中で新しい友人と出会う人もいるだろうし、互いに議論を繰り返し理解が深まる方もいるでしょう。
そして、この委員会という組織の外に一歩出てメンバー全員が集うのが、月に一度行われる例会である。
例会という場は、メンバー全員が集まる場としての吸引力がなければならないと思います。「JCに入っていて良かったな」「今回も参加して良かったな」と思える場であるべきではないでしょうか。例会の根源的な役割は、とにかく出席率が高くなる催しをして、会員同士の交流を図り、委員会活動が活発になるお膳立てをすることではないかと思います。
例会が終われば、その例会は成功したのか?いや失敗だったのか?そんなセリフが頻繁に聞かれるようになっています。私はそんなことに拘る必要はないと思います。一部の特別例会を除けば、例会を市民が見ているわけではないし、JCはその先に「まちづくり」という大きな目的を持っているのですから、例会はそのための土台作りと捉えて頂ければ良いと思います。雰囲気を盛り上げる目的を重視すべきであり、形式にこだわる必要は全くないと思っています。
そしてそのことこそが青年会議所の運営に最も重要なことであり、近年欠けている点ではないでしょうか。60周年を翌年に控える2012年度はこの点を非常に重要視して一年間の運営の基幹としていきたい。

国際委員会」とは国際社会の中の下関市のあり方や、国際都市下関としてそこに住む我々がどう生きるべきかを考えることが本来のあり方ではないかと私は考えます。
IT化の促進以降、急速に海外が身近になり、グローバリゼーションやボーダーレス化という言葉を耳にする機会も増えていきました。しかしながら、ただ単に英語を覚え、海外のマナーを身に着けることが本当に国際人なのでしょうか?真の国際人とは海外のどこにいても日本人としてのアイデンティティを失わず、それでいて海外の風習をも受け入れる度量を有し、また海外から下関を訪れた方々に日本流の「おもてなし」を自然体で行えることではないでしょうか?
“To be international, be national” この言葉を我々に当てはめるなら、即ち「国際人になるなら、先ず日本人たれ」となるでしょう。日本人として、下関人としての国際社会への対応の在り方をまずは考えるべきであると私は考えます。
下関市は言うまでもなく国際海峡都市です。道を走れば数カ国語で案内看板が表示されているように、受け入れのインフラ自体は他の国際都市と比肩しても全く劣るところのない街です。あとはそこに住む我々市民が本当の意味での国際感覚を身に着け自然に行動できることが、真の国際海峡都市への道ではないでしょうか。
「国や人が国際化、あるいは国際人になるということは、愛国心の延長上にある。自国への愛国心を持たない者は相手の人も国についても正しく理解が出来ず、外国人との間に健全な国際関係は成り立ち得ない」新渡戸稲造

「現在の我が国の若者は自国に対して誇りが持てない」という議論が起こって久しい。
2009年に英誌エコノミストが発表した「あなたは自国に対して誇りを持てていますか?」という調査結果では日本は33か国中33位という結果でした。ではなぜ日本人は自国に誇りを持てなくなってしまったのでしょう。
その元凶は、日本国内で展開された平和運動や市民運動にあると考えます。それらは表向き「平和」「戦争反対」を叫ぶものの、裏では伝統的な価値、文化、精神、そして国家までも否定する運動でした。
国を愛する心を失ってしまうと人間はどうなるのでしょう。「国のため」「公のため」という意識が希薄になり、「私」ばかりが肥大化し、公の倫理観や道徳は失われていきます。ついには国家を裏切るだけにとどまらず、自分自身をも裏切っていく。人間の退廃、教育の荒廃はこうして起こっていっているのではないでしょうか。
戦前の教育勅語では、「此れ我が国体の精華にして教育の淵源また実に此に存す」と国体の尊厳が謳われたり、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」と公が強調されることはあっても、個の字はどこにもありません。
戦争に勝利し日本を占領したGHQは、「戦争反対」を謳う平和憲法と「個の尊重」を謳った教育基本法を作りました。公から個への転換こそ日本を弱体化させる鍵と見たのでしょう。
個と公がどちらも重要なことは論を待たないと思いますが、戦前の教育勅語の中で個が次第に退潮に傾いたように、戦後の教育基本法の中で、公は次第に退潮に向かってきました。親や教師のほとんどが戦後生まれとなったここ数十年はより一層この流れに勢いがついています。
「個の尊厳」とか「個の尊重」とかの標語が美しい響きを持ち、「個に応じた教育」「個性を伸ばす」「個性の輝く学校」「個性的な町づくり」耳障り良く唱え、その結果、親と子、先生と生徒は対等となり、宿題を出さなくとも罰を与えられないし、親や教師に敬語を用いないどころか、暴言を浴びせるような生徒さえ大目に見られています。「個の尊重」という標語は、文科省をはじめ教育界を席巻し、いまや子供中心主義や子供への阿りの土壌となっているとさえ思えます。
日本人は個を尊重するあまり、長い歴史の中育んできた、日本人らしい美徳を自ら踏みにじり、美意識を失い、愛国心を無くしたため、祖国に誇りがもてなくなったのです。
国家の本質たる祖国の文化、伝統、情緒、自然などに拠り所を持たず、ただ与えられた形質のみに従う国家は累卵の危うきにあると言えるでしょう。
子供たちが自国に誇りを持てなくなったのは、ひとえに子供を取り巻く環境の悪化の性に他なりません。そのことを省みらず、「最近の若者は…」と嘆くのは誤りです。
子供たちは可能性に満ちています。彼らの可能性の目を伸ばし、成長させることこそが大人の役割ではないでしょうか。「教育は国家百年の計」というように、特効薬のあるものではありません。常日頃から家庭や学校では学びえないことを学べる環境を整え、自分の素質を発揮できる舞台をあつらえてあげることが我々青年会議所の役割ではないかと信じて止みません。

2009年に中尾市政が誕生し、今年で3年目を迎えます。中尾市政に関しては、誕生のころより下関青年会議所は深く関わって参りました。
2009年選挙の際にローカルマニフェスト型公開討論会を実施し、当時候補者であった現市長はじめ3人の候補者に各々のマニフェストを発表して頂きました。そして昨年、2年目の折り返しを迎えた市政に対し、ローカルマニフェスト中間検証大会を実施。中尾市長が掲げたマニフェストの中間評価を行い、我々からの提案を行いました。
このローカルマニフェストはPDCAサイクルで出来上がっています。そのため、最後の検証までは、始めたものの責任でしっかりと行う必要があります。と同時に、我々青年会議所にとっても非常に有益な情報収集の機会でもあります。市政がどう動いているのか、それに対して関連団体がどう考え、何を求めているのかを知ることが出来、そこから我々の新しい施策を生み出す機会ともなります。
しかしながら、市政の評価・検証は一つの団体で行い続けてよいものでもありません。今後は市民を広く巻き込み、評議会を作り運営していくべきであると私は考えます。市長の掲げるマニフェストすなわち市政の政策というものは受動的に受け入れるものではなく、やはり市民側から能動的に働きかけていくものではないでしょうか。
今年一年かけて、この市民評議委員会の設立に力を入れ、今後のローカルマニフェストの運営を委託し、我々の根づかせたローカルマニフェスト型選挙の推進として行きたいと思います。

下関青年会議所は今大きな転換期を迎えようとしています。積極的な会員拡大の成功と、所謂「団塊ジュニア」と呼ばれる層がここ近年で多数卒会していくことで、メンバーの入れ替わりがかつてないスピードで進んでいっています。来年の60周年を終えたのち昭和48年生まれの会員が卒会した後は、卒会者と同数入会するとしても、全会員の60%以上が3年未満の会員ということになり、即戦力となる新入会員の育成が急務です。
そのためには、研修中に基本をしっかりと学ばせ、JC会員としての心構えや考え方を植え付けなければなりません。その上でなるべく早い段階で事業等に関わってもらい本格的な活動を経験させることが最も効果的であると考えます。
新入会員のうちになるべく多くのことに出席してもらい、少しでも多くのことを経験させることが、一日も早い彼らの成長を促し、戦力となる会員の育成となります。
誰もが新入会員の時は「JCとはなにか?」「JCとしてどうするべきか?」と悩んだことと思います。しかしこれは言葉でいくら説明してもなかなか理解できるものではないと思います。行到水窮處の言葉通り、無理に言葉で理解させるよりも体験させながら自然と身につかせること、感覚としてJCを捉えることが肝要ではないかと私は考えます。
「実践的な研修の導入」をテーマに今年一年は行っていきたいと思います。

馬関まつりは今年で35回目を迎える下関の夏の一大イベントであり、下関青年会議所の中でも最大級の事業です。しかしながら、35回という歴史の積み重ねの中で、様々な問題が浮上していることもまた事実です。
特に近年思うことが、全体の意思統一がなされていないことです。近年は下関青年会議所の理事長が馬関まつり推進協議会の会長を歴任していますが、実際はメインステージのゆめ広場内の管理監督に追われるばかりです。また実行委員会委員長の掲げるスローガンや趣旨も同様に、メインステージであるゆめ広場内でしか反映されていません。各々の会場が各々の意思で同日に祭りを開催しているというのが今の馬関祭りの実態ではないでしょうか。
またもう一つ大きな問題は、利益至上主義に走りすぎている点です。もちろん収支計画がある以上赤字を出さないに越したことはないのですが、売り上げがいくらだとか、これの経費がいくらだとかいう問題が先走りすぎ、肝心の「市民のための市民のまつり」という理念が置き去りにされているように思えてなりません。
馬関まつりは市民祭です。主役は下関市民であるべきなのです。
「市民のための市民のまつり」という理念が置き去りにされた結果は、市民の認識の低下にも繋がっています。馬関まつりは「当日会場に行けば勝手に開催されているもの」という感覚がおそらくは多くの市民の感覚であり、創世の理念であった「自分たちの手で作る自分たちのまつり」という概念はすでに失われているといっても過言ではないでしょう。
ここに馬関まつりが市民祭からかけ離れてしまった要因があるように思う。
市民の手による市民のためのまつり。この形を再構築し、真の市民祭へと馬関まつりを昇華させようではありませんか。

2011年3月11日に「東北地方太平洋沖地震」が発生し、地震はもとより津波による大きな被害が発生しました。
この国難とも言える状況に直面した私たちは、自分たちのまちを守るために、地域の課題はその地域に住む私たちで解決していくという、JCの原理原則に立ち返る必要があるのではないでしょうか。普段から地域の一人ひとりが、それぞれの目線でまちのことを考え、課題を見つけだすこと。そして、その課題を地域の人たちと共に解決しようと行動し、地域の未来へ貢献し得るだけの方向性を見出すことが、持続的なまちづくりのスタートラインではないでしょうか。
我々会員はこのことを胸に刻み行動していかなければなりません。その先に明るい豊かな社会の実現があると信じて。
私は入会6年目という決して長くはないJCライフの中でたくさんの素晴らしい出会いを経験させていただきました。残すところあと2年間という限られた時間の中で後悔だけはしないように大事にその時間を使って進んでいこうと思っております。全メンバーの皆さんにもたくさんの素晴らしい出会いを是非経験していただきたい。それは自ら行動することできっと経験する事のできるJCライフの最高のプレゼントだと思います。そして私たちの愛する故郷が抱える様々な困難から決して目を逸らさずに真に豊かな夢あふれる地域の創造に向け1年間を全メンバーで邁進して参りましょう。










